辛く険しい旅のあくる日、夕焼けが差す河原で、私は剣を振るっていた。
「どうしたどうした? 随分余裕ないじゃないの?」
「うる、さい!」
 掲げた剣で男を薙ぐも、寸前で相手の剣に止められてしまう。間もなく刃は弾かれ、私の手の平から逃げ出した。
「この辺にしとこうぜ、お嬢さん。俺もお前も、剣だってへとへとだ」
「……」
「負けず嫌いなところも可愛いけどさ、力んでばかりじゃ、剣はいうこと聞かないぞ?」
「……分かった」
 男は歯を見せ「よし」と笑う。私より年上のくせに、笑い方はいつも子供っぽい。

 私はルフレ、彼はスキアー。ある港町への旅路を共にする仲間。
 生まれの地こそ違うけど、旅の動機はそっくりそのまま。私は幼なじみを救うため、彼は妹を救うため、黒い獣を探している。探している獣は違うが、発見次第仕留めるつもりでいるところは同じ。
 スキアーは、いつだってへらへら笑って調子いいことばかり口にする軽薄な男だけど、妹を救いたい気持ちはとても強い。女である私の体力、体調を気遣ったり、戦い方を一から教えてくれたりはするけど、無駄な休憩を提案することはなく、いつも先を急いでいる。山賊が現れれば迷いのない太刀筋で容赦なく切り捨て、片付け終えれば「時間を無駄にしたな」と笑みを浮かべる。それが彼だ。

「ルフレはさ、寝ている時に夢見たりする?」
 いつの日か、スキアーが尋ねてきた。宿で寝支度をしている時だった。
 私は肯定した。特にその頃は眠りが浅く、嫌な夢にうなされていた。今となっては、どんな夢だったか覚えていないが。
「例えばさ、どんな?」
「そういうスキアーは?」
「見るんだよね、これが。妹が結婚する夢とか、ルフレと結婚する夢とか」
「……もう」
「で、どんな?」
「……昔のこと、とか」
 嫌な夢のことは話さなかったはずだ。彼を不安にさせまいと、直感が働いたことは記憶している。
 スキアーは「そう」と笑んで、天井を仰いで、そして、
「俺の妹さ、眠っているんだ。黒い獣に――でっかい羊に呪いをかけられてから、ずっと」
 顔をこちらに向けないまま続けた。「だから、せめていい夢見てたらなあ、って」
 何も言えなかった。ナハトが受けた呪いについて話そうか、という思いもよぎったが、その時は、彼をこれ以上苦しめてはいけないと判断した。だから、沈黙を貫いた。

 小石が敷き詰められた河原で、火が薪を燃やし音色を奏でる。椅子代わりの布に腰を下ろし、火を挟んで向かい合う。お互いの背を警戒するためと、並んで座ることは滅多にない。
 特訓を終えてすぐの夕食は、スキアーが狩った野鳥を火にあぶるだけという簡単なもの。食べやすいよう解体されてはいるが、鳥が焼かれる姿を眺めていると食欲が萎える。魚でも釣ってこようと立ち上がった途端、それは視界に現れた。
「ほい」
「え?」
「肉、嫌いなんだろ? 火の準備してもらっている間に、ちょこっと釣ってきた」
 串刺しにされた魚。火はまだ通っていない。
「一匹しかないけど、飯無しよりマシかなーって」
「……ありがとう」
「あ。ダイエットしたいっつーなら、遠慮なく俺がいただきます」
「馬鹿」
 彼から魚を奪い、布の前に突き立てる。ぱちぱちと響く火の歌が、魚を巻き込んでいく。
 少し目を逸らせば、灯りを受けて伸びる影が目に入る。その影は、スキアーの髪の色に似ていた。
「悪いな」
 いきなり謝られても、心当たりがない。「何が?」と首を傾げれば、スキアーは串をいじりながら答えた。
「俺、釣りは下手糞でさ。せっかちだから、こう、糸を引く前に引き上げちゃうんだよ。剣で刺そうにも近付いたら逃げられるし。ルフレが肉食えないの、知っているのにさ。なっさけねーの」
「気にしなくていいのに。今度から私が用意すればいい話でしょ」
「狩りは男、調理は女、これ古来からの鉄則」
「現代に生きる男が何を言っているのよ。本当に気にしなくていいから」
「って言われてもなあ」
「食べれるし」
「ならどうして食べない?」
「鳥には、いい思い出がないのよ」
 以前飼っていたクロロも、ナハトを襲った黒い獣も、鳥だった。
 弟のように慕っていたのにいなくなったそれと、憎くて仕方ない旅の目的が重なって、いつしか私は鳥を避けるようになっていた。
「スキアーは、羊の肉を食べられる?」
「……そういうことか」
 以前聞いたことがある。スキアーはかつて羊を飼っていたと。
 妹と二人で可愛がった羊。そして、妹を昏睡させた羊。仮に食べることができても、思うところはあるはずだ。
 困ったように頭を掻くスキアー。失言を後悔している様がありありと顔に出ている。そんな表情しなくていいのに。……なんて、口にできたらよかったけど、今は少し難しそうだ。
 鳥を思うと、遠く離れたナハトを想うと、いつも胸が重くなる。息も、言葉も吐き出せないほど。
 呪いを受けた彼は、まるで鳥のようだった。高い体温に、暗闇への恐怖心、頻繁に漏らす意味の為さない鳴き声。眠ることもままならないのか、目の下の隈が濃くなるばかり。
 あんなに辛く、苦しそうなナハトを見ていると、心が圧迫され、ぺしゃんこになる。
 だから私は村を出た。狂ったあいつの傍にいれなくて、ナハトの前から逃げ出した。呪いを解くためって格好つけて。
 鳥を避けるのもそうだ。クロロや獣と一緒に、あいつの姿が脳裏に浮かぶから。
「悲しそうな顔だぜ、お嬢さん。顔を上げな、魚が焦げる」
 スキアーは、平然と、しかしこちらの様子を窺うかのような口振りで喋る。
「俺の鳥は出来上がったみたいだから、お先にいただくよ。食べている間は、後ろ向いてるから」
「……」
「この辺は安全そうだし、俺とお前以外誰もいない。だから、しばらくは好きな顔していいぜ」
 日常が、火を挟んで向かい合っていた現実が、あっけなく崩れ落ちる。これでいよいよ、脳裏の彼と対話しなくてはいけなくなった。
 どうして僕の前からいなくなったんだ?
 この問いに対する正解など、私の中に存在しない。だからといって暫定の答えを口にする勇気もない。
 ごめんなさい。これだけじゃ足りないでしょう? 勘弁してよ、これ以上何も言えないの。あんたが満足する言葉を、口にできないの。
 やめてよ、そんな目で見ないで。
 やめてよ、スキアー。私と彼を二人きりにしないで。
「こっち、見てよ」
 ナハトから逃げたくて、スキアーを呼ぶ。
「女が酷い顔してるからって、目を逸らすなんて、最低よ、馬鹿」
 俯いたまま、文句を紡いで、それでも尚。「お願いだから」
 震える手、滲む視界、頭の中は真っ白で、ナハトの顔があるだけで。
 不安定な世界に怯え始めた時、火ではないぬくもりがあった。
「了解だ、お姫様」
 隣にきてくれたスキアーが、私の頭部を自身の胸に寄せてくれた。
 温かくて、大きくて、頼れる確かな存在感に、素直に悲しみを委ねた。
 黄昏に似た瞳が、深く広い色が、こちらを見据えて頭を撫でる。
 垂れた髪は影のよう、そばにいてくれる安心感がある。この旅路の間、ずっと近くにいた黒色だ。
 これは辛く険しい旅のあくる日。
 それぞれ別の船に乗り、再会を誓って別れるまでのこと。

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