残酷で悲哀、そして悲愛な
Mistake


月がく輝いている晩の事だった。
大きな城の、小さなバルコニーに居る少女…姫が、ふと隣に居る少年に問う。
「あなたって、本当に魔王なの?」
首を傾げ、不思議そうな顔をする少女を見て、少年は微笑んだ。
「はい。先代の魔王である父上が亡くなった今は、僕が魔王ですよ」
自分が魔王だと名乗った少年は、ただの何にも無い、普通の小柄な少年でしかなかった。
肌の色は白く、髪と目の色は美しいとしか表現できないような。衣服は礼儀正しさが感じ取れる、丁度良すぎるサイズのタキシード。
魔王の威厳が表れているといえば、羽織っている、裏地が赤い黒のマントからぐらいだろう。
未だににっこり微笑んでいる顔は、決して強面などではなく、綺麗な顔ながらもまだ幼げが残る、子供の顔でしかない。
姫自身がイメージしていた魔王とはかけ離れていて、それが信じられないのだろう。
先程の質問も、2人が出会ってからかれこれ7回目だ。
「…何かねえ、調子狂うのよねー…。姫君を捕えた極悪魔王の顔は、もっとおっかない感じの方が理想というか…。
美形なのは許すけど、せめて髭が生えててほしかったなあ」
「申し訳ありません。さすがに髭を生やす事は難しいです…。付け髭だと、ムードが出ないでしょう?」
「……ああもう、またそれ」
不機嫌そうな顔で拳骨を作り、それを魔王の額に軽くぶつけ、コツンと音を鳴らす。
大した痛感などはないが、目の前の少女に不快を感じさせたのが気になったのだろうか。少年の顔は曇った。 「…何か?」
「何度言わせたら分かるの?捕えた姫様のわがままに、わざわざ付き合ってたら魔王らしくないって」
「ですが、折角のお客様ですし…。あ、今日の夕食は何が良いですか?」
「お客様って、あなたは私が欲しくてさらったんじゃないの!?だったら今の所、私はあなたの所有物!
その所有物のわがままにいちいち付き合ってるんじゃないの!わざわざ夕食も聞くな!ムードが出ないじゃない!」
怒鳴る度にその拳骨で突付かれ、その度にい髪が揺れる。同じ色の瞳は動揺の色を見せていた。
「そうは言われても…欲しくてさらったつもりではありませんし…少しだけ、お話をしたいなって思ってあなたの部屋へ訪れただけです。
そうしたら、あなたの城の召し使いさんが偶然見つけて大騒ぎして、
とりあえず魔法で逃げようとしたら、あなたを巻き込んでしまって……。
所有物なんてとんでもない。巻き込んでしまった責任を含めて、あなたが欲しいと申し出るものを用意しているのですから」
微笑と共に繰り出された説明を聞いて、拳骨がほどけ深いため息が出てくる。
「私が今1番欲しいのはムード、雰囲気。美味しいステーキでも甘いケーキでも、綺麗なドレスでも可愛い部屋でもないの。
折角こうやって私の夢が叶おうとしているんだから、理想通りに動いて欲しいのに…。魔王のあなたがダメダメなのよ」
「申し訳ありません。あなたが求める『魔王らしさ』を、僕は持ち合わせていないので…」

姫が求めている魔王は、『極悪非道』で『強く』て『利己主義』なのだが、目の前の魔王はまるで正反対。
立場に似合わず『善人』で『他人を気遣う』上に『弱い』。
そして何より理想の『高笑い』など一切せず、ただ優しく『微笑む』ばかり。

「…って、すごく優しい色よね。魔王のあなたには似合わないわ」
「僕は好きですよ、この。あの月と同じ色で、見ているだけで優しい気持ちになれます」
「…だから、似合わないのよ。髪染めて、カラコンしたら?」
「カラーコンタクトは目に悪いって話を聞いた事あるので……。あ、でもあなたが望むなら従いましょう。 何色が理想ですか?」
「………もういい」
話しても無駄だ、と勘付いた。バルコニーの手擦りに額を当て、疲れた様子を表現する。
すると、背中に温かい感覚。彼が背中をさすっているのだ。
今は優しくするのは逆効果だという事を分かっているのだろうか……。
「あなたが望むなら、元のお城へお送りしますけど…」
「ふざけないで。あんな所、ただの牢屋でしかないわ。戻っても私の自由が奪われるだけ。
それに、あなたが転移の魔法をするって分かったから、あえて巻き込まれたのよ。夢を叶える為に」
「…あなたの夢とは?」
優しい声で問い掛ければ、姫はわずかに顔を上げた。
「魔王にさらわれて、絶体絶命の危機って時に勇者様が助けてくれるの。それで、その勇者様と結婚するって夢。
昔はもっと違う夢を見ていた気がしたけどねー…。とにかく、今の夢はそれ。子供っぽいでしょ?」
「…いえ、素敵な夢だと思います。
………ただ」
「ただ?」
重い口から綴られる2文字に反応し、姫は完全に顔を上げた。
何を言いかけたか、気になっている。それが分かった魔王は、言いづらそうに唇を動かす。
「…あなたには、酷な事を言うかもしれませんが…、今あなたを助けようと動いている勇者には、将来を誓った仲の女性が居るそうです。
故郷に残した幼なじみで、姫の救出が成功したら、結婚しようという…」
「…あー、そゆ事。うーん、確かに結構ショックかも……」
「………………」
普通なら此処は少女が受ける衝撃の方が大きい筈だが、何故か魔王の方が苦しそうな顔だ。
何で話を聞いた自分が話をした者を慰めなきゃいけないのか…。
そう思いつつも、少女は彼を励ます為に笑った。
「気にしない気にしない。助けてもらうっていうのが大前提だから。結婚はオマケでしかないよ。
ていうか、そんなくだらない事で言いづらそうな顔をしないの。魔王でしょ?」
「………はい…」
彼女のいう事に間違いなどない。ただ、そのオマケが無くなってショックなのにも間違いない。
何となくかそれを感じ、申し訳なさのあまりか、ほんの少しだけい目に水分が溜まっている。
優しい以前に、完全に子供だ。
姫はため息を1つ吐き、自分より背の低い魔王のい髪をくしゃりと撫でた。
「そんな事より、今日の夕食は白身魚のムニエルとブレッド、あとサラダでお願い。デザートにレモンのシャーベットをつけて。
それと、食事時に音楽が聞きたいわ。何でも良いから演奏して」
「…僕はピアノしか弾けませんが、宜しいですか?」
「オーケーオーケー。ったく、何であなたと私以外、この城に居ないのか……」
恐らくそれも、理想の魔王とは違う所だろう。何となくそれを悟った魔王の顔はまた曇ってしまう。
「…そんな顔する余裕があるならさっさと作りなさい!お腹へって仕方ないの!」
「わかりました」
ペコリ、と頭を下げてから、魔王は駆け足でキッチンへと向かった。




勇者がこの城へ訪れたのは、その18時間後。

もはやその名は飾りに近い、謁見の間の扉が突然開き、偶然その部屋に居た2人は同時に身構えた。
扉を開けたのは1人の青年で、全身はで染まっていて、何処となくの臭いも漂わせている。
何とも悲しい色をしただった。だが魔王はすぐに気付く。あれは彼自身の血液ではないと…。
「勇者様…勇者様ですか!?私を助けにきてくれたのですね!?」
魔王と話している時とはまるで別人のような声。その猫かぶりっぷりを咎める者など、この場には居ない。 「…失礼ですが、その血は誰の物ですか?」
い瞳で青年を見据えて魔王は問う。だが青年は問いに答えず、拍子抜けのようなため息。
「あーあ、魔王ってもっと老けてると思ってたけど、まだまだ子供じゃねーか。
こんな奴の手下が、俺の師匠を倒したと思うとガッカリするぜ」
「…もう1度聞きます。その血は…」
「血も涙も無い悪魔でしかないくせに、優しそうな顔すんな」
「質問に答えて下さい」
「色々だよ。俺の仲間とか、故郷の奴とか…お前の部下とかな」
言いながら勇者は腰に掛けてる小さな荷物袋をあさり、何かを取り出し魔王の前へと投げつける。
それは、爬虫類生物の…例えば大きなトカゲのような…ドラゴンのような、1本の短い指。
肉と骨が見えるその残酷な物に姫は絶句。魔王は黙ってその指を拾い上げ…そっと、抱きしめた。
「襲うだけで良いって、言ったのに……」
「へぇ、やっぱお前の部下か。そいつが俺の故郷の人間を喰ってたんだ。俺以外、残らず全員な。
俺の父さん、母さん、兄とか妹とか、師匠も喰われたし…恋人も、胃袋ん中だ。
止めようと立ち向かった仲間はみんな腹裂かれたから、俺はそいつの腹を裂いてやった。
…出てきたのは、みんなただの肉片。お前にも同じ思いをさせようと、そいつの指を持ってきた。
悲しいだろ?苦しいだろ?もしも魔王にそんな感情があるんならの話だけどな」
悲哀の目を浮かべながらも、何処となく口元は笑っている。これでやっと、敵討ちが出来る、という笑みだ。
勇者の台詞を聞いた姫は、どんどん顔が青ざめていく。
光景を想像したというのもあるのだろう。だが、それ以前に…
昨日の自分の言葉を聞いて、勇者の想い人を殺すように、部下に命令したのではないかという仮説が浮かんだのだ。
「…あなた、まさか!?」
「僕1人じゃ、何も出来ないから、友達の協力を借りたんです…。唯一、攻撃手段として使える魔法が、召喚術だから…」
「そうじゃなくて!」「何も言わないで下さい。………
ごめんなさい」
謝罪と同時に、姫を玉座の方へと突き飛ばす。その衝撃で姫は頭を強く打ち、意識を手放してしまった。

次に目を開いた時は、先程まで笑っていた彼が死体になっているとも知らずに。


目が覚めて、飛び込んできた光景は、勇者が立っていて、魔王が横たわっている。
その魔王のタキシードの左胸付近はく汚れていて、すぐに心臓を刺されて殺されたという事が分かる。
(嘘、ウソ、うそ………!!)
あの弱い魔王ならば当然だった。自分も結果的にコレを望んでいた筈だった。
でも、溢れ返る、悲しみ。
「…まさか、アレだけのものを召喚した魔王がこんなに弱いってのか?そんな訳ないよな」
「……………」
「何で泣いてるんだよ姫様……ああ、そうか。
アンタはもう、姫でも何でもないのか」
「え…………?」
「アンタ、魔王だろ?」

その言葉と共に、
美しく、儚く、肉の欠片と共に、は舞った。



それは、誰が見ても悲しい誤解でしかないだろう。
姫は、勇者の想い人をどうにかして欲しいなどと願った事は1度もない。
魔王は、部下である竜に住人を食えと命じた事は1度もない。
勇者は、姫は魔王に殺され、今目の前に居る姫は魔王だと深く思い込んでしまっている。

この中で、1番悪党は誰ですか?

その問い掛けに、答えられる者は居るのだろうか。


(ゴメンなさい……)
裂かれた喉の痛みに負けず、大量の出血で動きが鈍る体を引きずって、先程まで笑っていた魔王の傍へと移動しようとする。
ただ、詫びの言葉が言いたくて。
(ゴメンなさい……)
痛んだ声帯から声は出ないと言えば、もう相手は死んでいる。喋る事も聞かせる事も出来ないのならば、ただその手を握って、念じる事をしたかった。
(ムードとか、魔王とか、勇者とか、関係なかったのかな……。
そうだよね、立場に捕われていた、私が悪かったよね…。
料理、美味しかったよ。魔王の称号でいまいち分かってなかったけど、あなた程優しい人も、見た事無かったよ。
ピアノも上手だったし…私も、あなたの蒼色が大好きだったよ……)
手を伸ばしても届かなくて、体を引きずっても遅くて、それでも諦めずに向かおうとしたら、ドレスの裾を踏まれる感覚。
そして、目の前に剣が突き刺さる。反射的に体の動かし方を忘れ、わずかにを浮かべた。
「魔王が泣くなんて、メンツ台無しだな」
(それでも、アイツは涙を流した……。凄く優しい、涙を流した)
否定の意を伝えるには、首を横に振るしかない。
結果、「くどい」の一言と共に細い体を蹴り飛ばされる。
「いつまで姫様のフリ?正直飽きたんだけど。いい加減その化けの皮剥がせよ。仲間の分と、姫様の分、出来ないだろ」
(私のなんて、必要ない。仲間の分が欲しければ、私を存分に斬れば良い)
「…ふぅん。未だに姫様のフリ?そのまま助けてもらって、国を内側から支配するつもり?出来る訳ないだろ。
お前は、今此処で俺が殺す。姫様をさらったんだから、当然その覚悟は出来てるよな?」
(さらってなんか居ない。私がただ、ついて行っただけ)
また首を横に振ると、青年はに濡れた銀色の剣を抜く。
「最期まで、ご苦労様。さようなら、偽 のプリンセス」
全身痛感だらけでいまいち分からないが、左胸に、剣が刺さった。

(私ね…昔見てた夢、思い出した。
牢獄って言える程、自由を制限されていた城から、王子様が助け出してくれる事……。
今思うと、その王子様って、あなただったのかな……。
もしも、そうなら…その夢を、壊したのは……王子を殺したのは……
そして、私を殺す悪党は………)
最期に勇者を睨んだ視線は、わずかながら怒りが混じった、底知れない恐怖の視線。
一体どうすれば、こんな悲しい結末に至らなかっただろうか。
考える時間など、少女に有りはしなかった。