降り積もる雪は視界を白く染める。敷き詰められた赤レンガを覆い隠す雪の上は歩き難いが、しかし踏むたびに鳴る不可思議な音は聞いていて心地がいい。南風原は冬が好きだった。
「寒いね」
 隣の久良木が白い息を吐き、ご機嫌な声を紡ぐ。「そうだな」と返す南風原の綻んだ表情に、久良木もまた笑みを零す。
「南風原くん、楽しそう」
「雪見るとさ、テンション上がるんだ」
「子供みたい」
「童心を忘れない、と言ってほしいな」
 適当な雪を掴み、玉を作って久良木に掲げる。
「知ってるだろ? 俺、雪合戦じゃ負け知らずだったんだ」
「うん、覚えている。チーム戦をやる時は、南風原くんの取り合いになったよね」
「そうそう。あの時の俺は、今以上に人気者だった」
「雪合戦の時は、ヒーローだったもん。格好いいなって、ずっと思っていた」
「久良木に思われるなら本物だな。あーあ、毎月毎日雪降ってたら、俺もモテるだろうに」
 何気ない会話、幼なじみ同士の気取らないやり取り。弾む声を交わしていた時、雪の塊は突然落ちてきた。
「っと」
 前方に落下するそれに反応し、南風原は立ち止まる。そして自身に驚きぶつかった久良木を支え、雪を落とした木を仰ぐ。軽くなった枝は天に伸び、新たな雪を受け止めていた。
「びっくりした……。この木、なんだっけ?」
「桜、じゃないかな。ここ、桜並木だったはず」
「桜か」
 冬を越えて薄紅に染まる木。春の象徴として人気の高い木だが、南風原は特別な感情を抱いていない。ただ、春に花を咲かせるというだけ。
 しかし今だけは、春という季節が引っかかる。春、この通りの桜が咲き乱れる時、自分は久良木と一緒にいれるのだろうか。
 幼なじみから始めた関係だが、特別な異性であることに違いはない。別れたくはなかった。
「……久良木」
「なに?」
「勉強、頑張ろうかなって」
「……」
「頭悪いし、授業はほとんど聞けてないけど、今から頑張ればもしかしたら」
「馬鹿」
 南風原の話を打ち消すように放たれた雑言。久良木自身は俯いているが、その言葉はやけに強く力がこもっていた。
「そんなこと、頑張らなくていいよ。無理しなくて、いい」
「でも」
「学校、違くていいよ。会えなくなるわけじゃないもの。南風原くんが苦手なことを頑張る必要、ない」
「だとしても、俺は頑張りたいんだ」
「……ありがとう。気持ち、嬉しいよ。でも、いいよ」
「いいよって、何が」
「ごめんね。私、もう帰る。塾あるから」
 制止しようと名前を呼んでも久良木は通り過ぎるだけ。少しずつ哀しげに遠ざかっていく背中に、もう一度呼びかけた。「久良木!」
 不可思議な足音が止み、久良木がゆっくりと振り返る。その頬は赤く染まっていた。
「本当にごめん。でも、嬉しかったのは本当だから。――また明日ね」
 頼りない声量で言い残すと、今度はぱたぱたと駆けて行く。全力で追いかければ容易に捕まえられるだろうが、そんなことは考えにも及ばない。南風原の胸は悔恨に満ち溢れていた。
「……畜生!」
 乱暴に鞄から携帯を取り出し、電話帳から番号を引き出す。そうして鳴るコール音、三回。
「五百住! 勉強教えろ!!」 

【やっとあきらめたんだから、惑わせないでよ】
(朱く染まる日/南風原日向×久良木小夜)

 刀に滴る血は青い。天使の血と同じ色。あたしの血とは違う色。
 壁にもたれて傷口を押さえている光の吸血鬼はとても弱々しい。息は浅いし、目線はぶれるし。こんなに威圧感のないこいつは初めて見た。
「……月夜との決別(クトネシリカ)、か」
 手に付着した自分の青い血を眺めて薄く笑うそいつは、底の知れない不気味さがある。
「なるほど、想像以上に脅威だったらしい。天使の武器がここまで殺傷力があるとは思わなかった。お前に返したのは、完全に敗因だったな」
「本当は、餓死するまで待ってても良かったんだけど」
 ――長引きすぎると、あなたを討つという目的を見失いそうで不安だった。
 なんて、絶対に口に出してやらない。
「――もたもたしていると、天使長様に怒られるし」
「真面目だな、天使様は」
 青い血に舌を這わせて、マクラーンはむせ返る。吸血鬼にとって自分の血は非常食なのだ、といつかこいつが話していた。飢えは凌げるが、体に毒。緊急時以外食してはならないもの。
「……もう、この味には飽きた。お前が来なかったら、こんなに腹を空かせることもなかったんだが」
「あたしがここへ来たのは、あなたに食事をさせない為よ」
「そうだ。覚えている。全く、とんだ闇っ子だ」
 マクラーンの血が青く輝き、美しい光となって消えていく。致命傷を負ったマクラーンはこのまま、青い光となって消滅する。死に方が天使と同じなんて、どこまでも不気味な光の吸血鬼。
「……俺が死ねば、お前を守る吸血鬼はいなくなる。ツァイも、お前を完全に食材とみなすだろう」
「ええ」
「最初から死ぬつもりで、俺を殺しに来たのか。随分とむちゃくちゃな天使だ」
「どっちにしても同じだもの。あなたを殺せば吸血鬼に食べられる、あなたを逃せば希望が潰えて餓死してしまう。最初から決まっていたことなのよ」
「出会わなかったら良かったんだな、俺たちは。そうしたら、お前も俺も死なずに済んだ」
 生を諦めたらしいマクラーンは、体中のことごとくを光の粒に変えながらも尚、あたしに哀れみの目を向けた。
「こんな結末に、意味があると思うか?」
「――あるわよ、きっと」
 月夜との決別(クトネシリカ)を握り締めて、強く振るう。マクラーンだった光は、あっという間に散らばった。

【出会わなかったらという仮定の無意味さに比べたら、】
(食物連鎖の迷子たち/ヒューレーキュクロートン・マクラーン×アーラ)

「白戸くん」
「どうかした?」
「昨日ナンパされた」
「それは…………よかった?」
「違う、やり直し」
「お生憎様?」
「本気で言ってるの?」
「悪いけど、どういう言葉を望んでいるのかが分からない」
「悔しくないの?」
「ナンパしてきた奴が?」
「あんたが!」
「おれが? 悔しい? なんで?」
「……真面目に聞き返さないでよ、こっちが虚しくなる」
「だって、意味が分からない」
「あの日から毎日、同じ電車に乗って帰る仲になったじゃない」
「うん」
「特別な感情はないわけ?」
「嫉妬してほしかったの?」
「あんたにはいないんでしょ、そういう子」
「まあ」
「だからその枠に、あたしが収まっているのかもって、考えただけ」
「ああ。つまり、おれに愛されたかったんだ」
「そんなんじゃなくて、そんな可能性も無きにしも非ずかなって」
「同じじゃないか」
「うるさい」
「あ、もうすぐ電車来るよ」
「そうね」
「黄色い線の前、空いてるけど」
「馬鹿言わないで」
「駅に着いたら、何か食べる?」
「シュークリーム。あんたのおごりで」
「分かった。……ねえ、黒羽」
「なによ」
「おれは、黒羽と同じシュークリームを食べても、黒羽に恋はしないと思う」
「でしょうね」
「でも、好きだよ。嫉妬はできないけどね」
「……馬鹿言わないで」

【恋じゃなくて愛です】

(五番乗り場/白戸鞘斗×黒羽奏)

 うさぎは寂しいと死ぬらしい。
 それならば目前にいる憂い顔のうさぎは今まさに死に瀕しているのだろうか、とるいきの心に影が掛かる。
 彼は、本を読んでいる時にふと遠くを眺める癖がある。るいきがいるそこよりも遥か遠くを。手中にあるワンダーランドには存在しない何かを探しているのだろう、とるいきは推測していた。存在しない何かもおおよそ見当がついている。
 視線の先がネバーランドかハートの城かなどは興味がなかった。どちらにせよそこに自分はいないのははっきりしているのだから、同じようなものだ。
 例えばここに、うさぎの探しものを用意したのなら、彼はこちらを見てくれるだろうか。人魚に気付いて、海を眺めてくれるだろうか。
 ――無理だろうな。
 諦めはすぐにやってきた。
(うさぎは魚に興味ない。それに人魚は陸にあがれない。魔女に声を売らない限り)
 かつてうさぎに言われたことを思い出す。君の声は素敵だね。
 あの日から特別なものとなった声を――彼と自分を繋ぎ合わせた声を失うぐらいなら、ずっと海の中にいよう。うさぎに存在を知られないまま、伝えたい言葉を音にせず、泡に変えて消してしまおう。
 ただ、大好きなうさぎが死んでしまうことは心苦しく思えた。
 ならば、探しものを連れてこよう、と思いつく。見向きもされなくても構わない、彼が生きられるならそれで満足だ、とるいきは自身に言い聞かせる。
「うさぎ部長」
 声が重い、吐き出すだけでも一苦労だ。魚は陸で呼吸ができない事実が、るいきの脳裏によみがえる。
「――今、誰に会いたいですか?」

 

【悲しいのは私だけで傷つくのも私だけ】
(ティアーズティーを召し上がれ/三月うさぎ←海原るいき)